困っている人を助ける仕事や、人に貢献する仕事に就きたいという若い人は多いですし、私も、若い
人にはぜひ、人のためになる仕事をしてほしいと思っています。
長年、大学病院に勤めていたある医師が、独立して内科の医院を開業しました。ところが誰も患者が
来なくて、結局、廃業した、という話を聞いたことがあります。開業する前にも大学病院などで働いていたので、開業して初めて気が付いたはずはありませんが、患者と接しないといけないことに困惑した、ということでした。たしかに、診察中、パソコンの画面ばかり見ていて、検査データについては細かく説明するけれども、患者さんの目を見て話さない医師はいます。そんな医師でも、勤務医であれば、そのことで仕事を失うことはないでしょうが、開業すると、たちまち患者の評判が悪くなります。
そういう意味では、他者に関心があって、他者に貢献するためにその職業を選ぶ、ということは大事
なことです。どんな職業であっても、その視点を欠いてはいけないと思います。
しかし、他者に貢献している自分を過剰に意識するのは問題です。「メサイヤ・コンプレックス」という言葉があります。「メサイヤ」とは「救世主」という意味で、「サイヤ・コンプレックス」とは、他者に貢献している自分に酔いしれることを言います。自分が仕事をすることが他者貢献になると考えるとは大事ですが、「他者に貢献することは自分にとっての満足」というよう考え方をしないことが大事です。人の役に立っているのだけれど、そのことに少しも気づいていいような貢献の仕方をするのが最善です。自分が貢献したことに意識を向けないということです。
また、他者貢献とは決して自己犠牲ではありません。これは、きちんと区別しておかないといけませ
ん。他者貢献というと、自分を犠牲にしてでも人の役に立つことをいう、と思う人もいるかもしれませんが、そういうことではないのです。
例えば、人が線路に転落してしまい、そこに電車が近づいてきました。その現場にいる時に、「自分
の命の危険を顧みずに線路に飛び込んで、転落した人を助け出せ」と言っていいかどうか、ということ
です。実際にそうする人はいますし、そういう行為を否定するつもりはありませんが、これは自己犠牲
的な行動です。まかり間違えば自分の命を失うことになるかもしれません。少なくともそういう行為を他の人に勧めることはできません。「そのような時はあなたも線路に飛び込みなさい」とは言えないのです。
こういう自己犠牲的な行為をすることと、他者貢献とは違います。他者貢献は、回りまわって、結局
のところ、自分に戻ってくるものです。人は、互いに補い合って、最終的には自分に何かが返ってきま
す。だから、仕事をする時に喜びを感じることができます。そういう意味で他者貢献は自分のためでも
あるのです。
〔出典:岸見一郎(2019)『哲学人生答17歳の特別教室』(講談社[一部を略記・改編]]
〔問題〕
以上の文章では、「他者貢献」というものは、「他者への関心」を必要とするが、しかし、「自己満足」でも「自己犠牲」でもない、ということが書かれている。これを読んで、自分の経験を踏まえながら、「人に貢献する」ことについて、あなたの考えを書きなさい。
①400~600字程度。
②文体は自由。
③一行30字で書きなさい(横書き)。句読点は字数に含める。