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研究所、轉學考(插大)◆日文作文
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110年 - 110淡江大學_碩士班招生考試__日本語文學系︰日文#100333
> 申論題
三、日文作文
請以「人と人の関わり」為題・字數不限・
相關申論題
問題1:請依號抄後標註假名①幾度 ②不样事 ③肝心④人材配置 ⑤利益誘導型⑥乏しき⑦ 払拭⑧西郷隆盛 ⑨位 ⑩昨今
#419868
問題2:請依號將適當語彙入( )內
#419882
問題3:請依題號從{ }中選出正確者
#419883
1.コロナ禍による学生の就職活動への悪影響が長期化しそうだ。旅行業や飲食業を中心に採用に慎重 な企業が増え、1年前までの「売り手市場」は様変わりした。元の水準に戻るまで5年程度はかか るとの見方があり、学生は志望業種を広げるなどの対応を迫られている。(朝日新聞2021/2/1より)
#419862
2.以上にのべたように、外来語は外国語から日本語に入ったことばであるが、どのような事情におい て、どのような環境で、どのような条件のもとに入ってきたかによって、外国語とのずれがさまざ まな形でおきることになる。そして、ここに見たように、日本語のなかに入ったあとの変化もある。 このようなずれがおきることについては批判があるが、そのなかにはやむをえない事情もあること は認めるぺきであろう。(石綿敏雄『日本語のなかの外国語』岩波新書より)
#419863
3.人の話はそれぞれです。無口であろうと多弁であろうと、語り方が下手でも上手でも、ほんの些細 な一言のなかに、聞く者の心に響く言葉が必ず潜んでいるものです。でもそれが、決して「立派な 話」である必要はない。声の出し方、ちょっとした反応、表情、仕草、躇、照れ、熱意⋯⋯。オ チもないような下らぬ話の隙間にも、その人らしさや人格が表れていて、そこに共感したくなるよ うな、なにか小さな魅力があれば、それだけでじゅうぶんです。そして、そんな話をする当の本人 にとっても、自ら語ることにより、自分自身の心をもう一度見直し、何かを発見するきっかけにな ったとしたら、それだけで語る意味が生まれてきます。(阿川佐和子『聞く力』文春新書より)
#419864
4、我和往常一開心看到他,不僅因為他是一位開朗而且才氣横溢的作家,更因為他都笑容满面,時常稱鑽別人.
#419865
5.處理事物時,無論在質量、組織還是過程中,如果發現任何缺失,我們都應該評估問題、努力改變現 狀,讓事情變得更好,這就是「改善」一詞的意義。(瑪莉藤本·尤可欣『生き甲斐』城邦出版)
#419866
【問題】以下の文章は、悩み相談(「友人に絶好されました」)に対する劇作家・鴻上尚史さんからの回答です。これを読んで、次の質問①一③に答えてください。①下線「私はなにがいけなかったのか、わかりません。どうしたらA子に私の真意を理解してもらえるでしょうか。人の相談にはどうのるべきだったのでしょうか。」と「さやかさん」は相談していますが、これに対し鴻上さんの考えはどのようなものでしょう?2字以内で答えてください。(20点)② 下線「僕は、39歳でロンドンの演劇学校に留学した時、「英語の戦場」で本当に苦しい思いをしました。」とありますが、鴻上さんが経験した「苦しい思い」はどのようなものでしょう?また、その経験から鴻上さんはどのようなことを考えましたか?200字以内で書いてください。(20点)③以下の文章全体を踏まえて、あなたの考えを600字以内で自由に書いてください。(60点)※文体は自由です。なお字数は守ってください。大幅な増減があれば減点します。一行 30字。______________________________________________________【相談】「友人に絶交されました」(28歳 女性 さやか) 高校時代からの友人に絶交されました。友人は家庭環境に恵まれておらず、両親の愛情を感じられないようで、高校時代からとても辛いと言っていました。でも、いつもなるべく話を聞いて解決できるよう言葉をかけてきたつもりで、大学が別々になってからもずっと続く友達だと思っていました。 でも友人は違いました。大学生、社会人になるにつれ、だんだん連絡が薄くなっていったといか。でも時々メールで連絡はとっていました。最近、久しぶりに会おうよと誘って、夕食をいっしょに食べたのですが、近況などを聞いているうちに、なんかちょっと友人の雰囲気がおかしいなと。そしたら翌日、ラインに「あなたとは絶交します、もう二度と私に関わらないで」と入っていたのです。驚いた私は電話をかけたり、ラインで理由を何度も聞いたのですが、返事はきませんでした。 1週間ほどして、メールが届き、思いもよらないことがたくさん書いてありました。結局、「さやかはいつも上から目線で、話したくもないのに人の家のこととか根掘り葉掘り聞いてきて高校時代から苦痛だった、とくに『子どもを愛さない親なんているわけない、A子の思い込みだ』という言葉にどれだけ私が傷ついたか。さやかの家柄自慢も、もううんざり。独りよがりのアドバイスで親友のふりをされても迷惑だから、二度と連絡してくるな」という、本当にA子が書いたのか、というきつい内容のメールでした。 私はこんなふうに思われていたなんてと驚き、家柄自慢なんてしたつもりはないのにと、ショックでした。時に厳しいことも言ったかもしれないけど、A子のためと思って言ってきたことが恨まれる事態になっていたのです。 いつも相談者の悩みに的確で優しいアドバイスをしている鴻上さんをスゴイと思います。私はなにがいけなかったのか、わかりません。どうしたらA子に私の真意を理解してもらえるでしょうか。 人の相談にはどうのるべきだったのでしょうか。【鴻上さんの答え】 さやかさん。混乱していますね。確かに、よかれと思ってやってきたことがうまく届かない時は悲しいですね。人のことを思い、良い人生を送って欲しいと、さやかさんは思っているんですよね。とても優しい人だと思います。でも、よかれと思ってアドバイスすることは簡単なことではない、ということを言いますね。うまく、 この意味がさやかさんに伝わるといいのですが。 まず、さやかさんは「人の相談にはどうのるべきだったのでしょうか」と書いていますが、高校時代から最近まで、相談は、いつもA子さんから来ましたか?それとも、A子さんが苦しそうだから、さやかさんの方から「どうしたの?何があったの?」と話しかけましたか?どっちの方が多かったですか?A子さんが「さやか、相談に乗ってくれない?」と言って話しかけてきた回数と、「A子、どうしたの?なんでも聞くよ」とA子さんに話しかけた回数、どっちが多かったですか?ひょっとしたら、さやかさんの方から「どうしたの?何があったの?」と話しかけた回数の方が多かったんじゃないでしょうか。それがなにか問題なのと思いましたか?僕は、それはとても重要な問題だと思っているのです。 もちろん、さやかさんは、A子さんの状態を心配して声をかけたんですよね。顔色が悪かったり、悲しそうだったりしたら、何があったか、自分に何ができるか知りたくなりますからね。でもね、悩みごとについて、自分から事情を説明しようと思うことと、周りから説明を促されて話すことは、大きく違います。僕は、今、たまたま人生相談のアドバイスをしていますが、日常からこんなことをしているのではありません。誰かと一緒に飲みに行って「何か相談ある?」なんてことは絶対に言いません。そんな人はうっとうしいじゃないですか。相手の顔色があんまり悪かったら、「どうしたの?」とは聞きますが、相手が何も語りたくないようなら、そこでやめます。それ以上は踏み込みません。たとえ、どんなに親しい友人でも、です。そして、「相談があるんだけど」と言われた場合だけ、相談に乗ります。相手が話す気持ちになってないのに、「話してみて」「相談に乗るよ」「何でも言って」と言うのは、相手を苦しめることになると思っているのです。 だって、話すということは、自分の苦しみをもう一度確認することです。やっかいな状況と向き合うことです。それは、ある程度の精神的強さがないとできません。その精神的準備が整ってないのに、「話して」と促されて話すのは、とてもつらいことです。ですから、僕は相手が話したくないようなら、深追いしません。ま、簡単な言葉で言えば、「余計なお世話」はやめようと思っているのです。そして、アドバイスをしても、それを最終的に実行するかどうかは、本人の問題だと思っているのです。 僕は、さやかさんの文章の「いつもなるべく話を聞いて解決できるよう言葉をかけてきたつもり」や「時に厳しいことも言ったかもしれないけど、A子のためと思って言ってきた」という表現が気になります。「なるべく話を聞いて」あげることは素敵なことですが、「解決できるよう」にというのは、本人の問題です。どんな解決策を選ぶか、何をもって解決とするか、そもそも解決したいのか、話を聞いて欲しいだけなのかは、A子さん本人が決めることです。 また、「厳しいことも言う」のはアリですが、「A子のためと思って」という表現は、僕には少し過剰なお節介を感じます。無理解な親は、いつも「あなたのためと思って」と言いますからね。「不幸な人がいたら、話を聞いてあげて、一緒に解決策を考える」ということを、さやかさんは当り前だと思っていますか?でも、それは、不幸な人に「接する人」側から見た当り前で、不幸な人側の当り前ではない可能性が高いのです。「不幸な人は、自分を不幸な人だと思われることが嫌で、一緒に解決策を考えて欲しいなんて求めてない」 なんて場合もありますからね。 さやかさんは、「家柄自慢」をしたつもりはないと思います。でも、立場が違えば、ただ事実を語っただけで自慢と取られます。だって、プロポーション抜群の人が自分のサイズを、太っている人の前でただ語るだけでも、自慢していると思われるでしょう。体型にコンプレックスを感じている人の前で、どうしてもサイズを語らないといけない特別な事情がない限り、それは自慢だと取られます。 「子どもを愛さない親なんているわけない、A子の思い込みだ」という言葉は覚えていますか?そんな言葉を言った記憶がない、と書かれてないということは、言ったということでしょうか。残念ながら、子どもを愛さない親はたくさんいます。『ほがらか人生相談』にも、そういう親の問題は多く寄せられます。親だから子どもを愛して当然というのは誤解です。もし、「独りよがりのアドバイス」というものがあるとすると、それは、相手の事情を想像しないまま、自分の当り前だけを前提にするアドバイスのことです。 さて、さやかさん。ここまでの文章を読んで、「A子は、私が『どうしたの?』と聞いたら、いろいろと話してくれた、とても嫌がっているようには見えなかった」と、思ったでしょうか。内心、嫌だと思いながら、それでも相手に頼って話してしまうことはあります。 僕は、39歳でロンドンの演劇学校に留学した時、「英語の戦場」で本当に苦しい思いをしました。授業中より、休み時間が地獄でした。20歳前後の若者の口語で早口の英語は、大部分が分かりませんでした。それでも、留学して半年ぐらいはなんとか食らいつこうとがんばりました。最初は、クラスメイトも気を使って、ゆっくり言ったり、簡単な言い方をしたり、繰り返したりしてくれましたが、やがて、かまわなくなりました。 だんだんと、休み時間、独りでいることが多くなりました。そこで休んだり仮眠を取ったりして、集中力を回復させて、授業に使おうとしたのです。でも、そうすると、淋しくなります。誰かに話しかけて欲しくなります。複雑な議論はできなくても、「調子はどうだい?」とか「ランチは何を食べるの?」なんてなにげない会話がしたいと心底思うようになります。 そんな中、クラスメイトであるイギリス人男性が時々、話しかけてくれました。ですが、彼には「かわいそうなアジア人をなぐさめている」という雰囲気がありました。イギリスの中流階級出身の白人として、クラスで唯一のアジア人を心配しているという匂いでした。別に自慢げとか偉そうな態度を取っていたわけではないです。彼の名誉のために言っておけば、彼はとても優しい人でしだから、話しかけてくれたのです。でも、どこか、「かわいそうなアジア人には優しく接という意識を感じました。それは、無意識の優越感だと思います。本人に言っても、キョトンとしたまま、「だって、君はかわいそうだから」と答えるような雰囲気でした。 さやかさん。僕は生まれて初めて「人間として見下されるとはこういうことか」と感じました。でもね、それでも、話しかけられることは嬉しかったのです。淋しさが紛れるから、たとえ、見下されていると感じていても、独りぽつんと中庭のベンチにいる僕に声をかけてくれることは嬉しかったのです。これは、強烈な体験でした。あきらかに「かわいそう」と見下されている相手からでも、話しかけられると嬉しいという感覚。生まれて初めて経験する、予想もつかない感覚でした。そして、すぐに、日本で例えば、道に迷っている目の不自由な人に「どうしました?」と話しかける時、僕には無意識の優越感がなかったのかと考えました。お年寄りに話しかける時、ハンディキャップを持った人に話しかける時、対等な関係ではなく、「あなたを守りますよ」という無意識に見下す意識がなかったのかと。たぶん、あったんじゃないかと思いました。 さやかさん。僕の言いたいことが分かるでしょうか?「私にはそんな優越感なんてない」 と思っていますか?確かに、意識的な優越感はないと思います。でも、「かわいそう。何かしてあげたい」と思うことは、とても気をつけないと相手を無意識に見下すことになるのです。 おそらく高校時代のA子さんは、ロンドンの時の僕のように、「見下されていると感じるけれど、話しかけてくれて嬉しい」という状態だったんじゃないかと思います。そして、高校を卒業し、大学を経験し、社会人になって、対等に話してくれる人とA子さんは出会ったのでしょう。自分のことを不幸な家庭の出身で「かわいそう」だと思わない、アドバイスをしないといけないと思わない、身構えない人と知り合ったのでしょう。だから、もうさやかさんと話したくないと感じたのだと思います。それを二人で夕食を食べながら確認したのです。相手を「かわいそう」と思った段階で、対等な人間関係は結べないと思います。「あなたのためにしている」と思った場合も同じです。 さやかさん。きつい言い方になったでしょうか。さやかさんが優しい人だということは明らかです。そして、幸福な家庭で育った人だということも。A子さんのことを本当に心配していることもよく分かります。でも、これからは、「相談があるの」と言われない限り、自分から「根掘り葉掘り」聞くことはやめた方がいいと思います。そして、アドバイスしても、それを採用するかしないかは、相手が決めることだと思った方がいいです。 蛇足なんですが、この無意識な優越感をこじらせた人を主人公に、アガサ・クリスティーが小説を書いています。『春にして君を離れ』という作品です。クリスティーですが、ミステリーではありません。完璧な母親だと思っていた女性が、旅の途中、ふと自分と娘達との関係、夫との関係に疑問を持つ話です。蛇足ですから、無理に読む必要はありません。ただ、さやかさんのような悩みと驚きは、決して、珍しいものではないということです。 A子さんとの関係は、残念ながら復活することは難しいと思います。A子さんは、さやかさんが優しくないとは思ってないのです。そういう意味では、真意は伝わっています。ただ、その優しさの伝え方が嫌だと感じているのです。 でもね、さやかさん。落ち込むことはないと思います。ずっと先、さやかさんが「対等な人間関係」に敏感になった時に、A子さんと話す機会があれば、また友人関係が復活するかもしれません。それまでは、A子さんのことを忘れて、さやかさん自身の人生を生きることを勧めます。対等な人間関係に自覚的になれば、素敵な友人とたくさん出会うと思いますから。
#449715
【問題2】次の文章は、高校生の質問[Q]に対して、哲学者が答え[A]を示したものである。[Q]人間関係に興味があり、人と積極的に関わってきました。将来は、困っている人を助けたり貢献したりすることをしたいと思っています。ですが、自分はなぜ人に貢献したいのかと聞かれると、わからないのです。相手の人が困っているから貢献したい、と思っているつもりですが、本音では、自分が認められたいからではないか、という恐ろしい考えが浮かんでしまいました。改めて、貢献するとはどういうことなのか教えてください。 〔一年生·男子][A]困っている人を助ける仕事や、人に貢献する仕事に就きたいという若い人は多いですし、私も、若い 人にはぜひ、人のためになる仕事をしてほしいと思っています。 長年、大学病院に勤めていたある医師が、独立して内科の医院を開業しました。ところが誰も患者が 来なくて、結局、廃業した、という話を聞いたことがあります。開業する前にも大学病院などで働いていたので、開業して初めて気が付いたはずはありませんが、患者と接しないといけないことに困惑した、ということでした。たしかに、診察中、パソコンの画面ばかり見ていて、検査データについては細かく説明するけれども、患者さんの目を見て話さない医師はいます。そんな医師でも、勤務医であれば、そのことで仕事を失うことはないでしょうが、開業すると、たちまち患者の評判が悪くなります。 そういう意味では、他者に関心があって、他者に貢献するためにその職業を選ぶ、ということは大事 なことです。どんな職業であっても、その視点を欠いてはいけないと思います。 しかし、他者に貢献している自分を過剰に意識するのは問題です。「メサイヤ・コンプレックス」という言葉があります。「メサイヤ」とは「救世主」という意味で、「サイヤ・コンプレックス」とは、他者に貢献している自分に酔いしれることを言います。自分が仕事をすることが他者貢献になると考えるとは大事ですが、「他者に貢献することは自分にとっての満足」というよう考え方をしないことが大事です。人の役に立っているのだけれど、そのことに少しも気づいていいような貢献の仕方をするのが最善です。自分が貢献したことに意識を向けないということです。また、他者貢献とは決して自己犠牲ではありません。これは、きちんと区別しておかないといけません。他者貢献というと、自分を犠牲にしてでも人の役に立つことをいう、と思う人もいるかもしれませんが、そういうことではないのです。例えば、人が線路に転落してしまい、そこに電車が近づいてきました。その現場にいる時に、「自分の命の危険を顧みずに線路に飛び込んで、転落した人を助け出せ」と言っていいかどうか、ということです。実際にそうする人はいますし、そういう行為を否定するつもりはありませんが、これは自己犠牲的な行動です。まかり間違えば自分の命を失うことになるかもしれません。少なくともそういう行為を他の人に勧めることはできません。「そのような時はあなたも線路に飛び込みなさい」とは言えないのです。こういう自己犠牲的な行為をすることと、他者貢献とは違います。他者貢献は、回りまわって、結局のところ、自分に戻ってくるものです。人は、互いに補い合って、最終的には自分に何かが返ってきます。だから、仕事をする時に喜びを感じることができます。そういう意味で他者貢献は自分のためでもあるのです。 〔出典:岸見一郎(2019)『哲学人生答17歳の特別教室』(講談社[一部を略記・改編]]〔問題〕以上の文章では、「他者貢献」というものは、「他者への関心」を必要とするが、しかし、「自己満足」でも「自己犠牲」でもない、ということが書かれている。これを読んで、自分の経験を踏まえながら、「人に貢献する」ことについて、あなたの考えを書きなさい。①400~600字程度。②文体は自由。 ③一行30字で書きなさい(横書き)。句読点は字数に含める。
#419349
相關試卷
110年 - 110淡江大學_碩士班招生考試__日本語文學系︰日文#100333
110年 · #100333
110年 - 110輔仁大學_碩士班招生考試_日本語文學系︰日文作文#100180
110年 · #100180
109年 - 109 輔仁大學_碩士班招生考試_日本語文學系:日文作文#105710
109年 · #105710